【このブログを書いている人のご紹介】
気になるひともいるかな~と思ったのでさらっと読んでもらえれば
ふくねこはこんな人
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元看護師の40代専業主婦
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ネコが好き・飼いたい・てか吸いたい・ご縁があるのを待っている…
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趣味は本を読むこと
本ならコミックも小説もエッセイも、いろいろ読んでる -
ダイエットを兼ねてPokémonGoは毎日やっている
結婚・出産まで
高校1年生で、父親が心臓病とガンになったことをきっかけに看護師の道へ。
夜間専門学校で働きながら4年かけて正看護師の免許証取得。
腫瘍科病棟・健康管理センター・心療内科外来・手術室・眼科外来の経験があります。
ごくごく普通に結婚して、子供が2歳の時に保育園に預けて看護師に復帰するも、小1の壁にまけてあっさり退職
二年のタイ海外赴任帯同を経て、現在はパート販売員
子どもの発達障害とHSC、そして不登校
あれ?ちょっと待て。なんだか普通じゃないぞと思いはじめたのは、ここから(^^;)
他の子どもがニコニコ登園する中、泣いてわめいてかんしゃくをおこした子どもと格闘する毎朝。
ヘロヘロで登園するわたしたち親子。キャッキャウフフな友だち親子。
なんて手のかかる子なの。なんでうちだけ?とメソメソうじうじしていたら、園の先生から発達障害を指摘。
そこからは怒涛の展開。
児童精神科を受診予約!3か月待ち当たり前!下手したら半年待ち。ひえっ…。
発達検査は半年待ち。療育もいっぱい。自宅でのセルフ療育とそのための勉強。
そして全く理解のない夫。え?障害?子どもなんてこんなもんだよ。俺の小さいときにそっくり…な~んてテンプレ発言を繰り返していたので、戦力外と判断。
一切頼れませんでした。いたっけ?いたかな?いたなー。お世話したわ(-_-;)
理解のあった保育園時代とは違い、小学校入学には親の覚悟が必要でした。
いわゆる小学1年の壁はわたしにとっては精神的にエベレスト…。
保育園卒園と同時に看護師は退職しました。
通学団でのいじめや小さなトラブル。他校通級の送迎。先生や学校との話し合いのために母も何度も登校。
通級に通うことでの偏見や、身内の無理解にも苦しめられました。
やっと小学校生活にも慣れ、そろそろ看護師にもどれるかな?と思った矢先、今度は夫がタイへ海外赴任。
夫が先に渡タイしたことをきっかけに、子供は登校時間になると腹痛をおこし、学校へ行けなくなりました。
ユーチューブを見て笑っていた子が登校時間になると、冷や汗をかいて文字通りのたうち回るほどの腹痛に苦しみます。
脂汗をかいて、顔色は真っ青。思わず救急車を呼ぼうとしたこともありました。
でもそんなひどい腹痛も、学校を休むことを決めると落ち着くんです。当時は本当に不思議でした。
HSC(ひといちばい、刺激に敏感な子)とストレスからの過敏性腸症候群と診断。
子どもの希望で私たちもタイへ帯同することになりました。
それまでの半年間でなんとか不登校を克服し、再登校することが出来ました。
>>>不登校から再登校するまでをまとめた記事はこちら
夫の海外赴任と帯同
会社からの帯同待機命令が明けた半年後、赴任先のタイに子どもと帯同。
子どもは日本人学校に通うことになりました。
発達障害と不登校のフォローと受け入れ状況の調整のため、転入の1年以上も前から学校と話し合い。
夫と暮らせるようになって調子よく登校していた子どもでしたが、やはり環境の変化によるストレスで、不登校を再発しました。
いわゆる駐妻と呼ばれるようになりましたが、ブログやインスタでキラキラしているマダムたちとは程遠い私。
頼れる人がいない孤独感、噂好きの駐妻たち、言葉の問題、色々な問題を抱えながらも必死でした。
幸いタイの日本人学校の先生方は皆さん熱意のある先生ばかり。
子どもはタイでも不登校を克服してくれて、私もやっとタイでの生活を楽しめるようになってきました。
ちなみにここでも夫は空気です。
子どもが肺炎で入院した時も、救急外来にかかろうかと迷っていたときも仕事。
連日、深夜までの仕事と接待。
やっと来た休日は接待ゴルフに飲み会。会社のイベント。
この駐在員の働き方ってなんとかなりませんかね?
さて、ほっとしたのもつかの間、日本への本帰国辞令が出ました……( ;∀;)
本帰国からブログを作るまで
帰国するなり、夫の病気が見つかり闘病開始。
なにこの怒涛の展開( ;∀;)
環境の変化と不安により、またもや子供は腹痛からの不登校。
やっと再登校できたと思えば今度はコロナで休校。現在にいたります。
休校時間に色々考えました。
海外赴任も子育ても、困った時に色々なブログの記事に助けてもらいました。
特に発達障害の子育てについてや療育・支援の情報はとてもありがたかったです。
わたしも誰かの役にたてる記事を書きたいと思い、ブログを始めました。
お世話になった素材サイトさま